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2008年10月23-11月6日
13泊14日





1.「1杯のミルクティー」
2.「高山病」
3.「高山を歩く」
4.「いざ、カラ・パタールへ」
5.「帰路、そしてルクラで足止め」
6.「おまけ。トレッキングについて」


【ルート】
往路
ルクラ パクディン ナムチェ タンボチェ ティンボチェ ビブレ トゥクラ ロブチェ ゴラクシェプ カラパタール,B.C
復路
ゴラクシェプ ロブチェ トゥクラ ペリツェ タンボチェ ナムチェ パクディン ルクラ

行程 :13泊14日
難易度 :★★☆☆☆
お勧め度 :★★★★★
※・・・登山道は歩きやすい。レベル的には日本のアルプスの方が難しい。ただし、高度が高いので、それを考慮すればもう少し難易度は上がる。



鳳凰三山


その3「高山を歩く」

寒い。
本当に寒い。ネパールのトレッキングは涼しいぐらいだろうと思っていたのだが、本当にここまで寒いとは全く予想していいなかった。

昨夜は19:00頃から寝てしまったので、目が覚めるとまだ05:00過ぎだった。でも熟睡である。トレッキングに出て一番の熟睡のような気がする。一日前はあれ程高山病で苦しんでいたのに、今は信じられないほど体の中から力が湧いてくる。
外に出る。
まだ薄暗く、風も冷たい。温度計は5度。そんな中でもあちらこちらのロッジから、朝の営みを始める音が聞こえる。ヤクはまだ地面に座ったままだ。よく見ると背中に霜が降りている。雪山は薄い青色をしている。まだ太陽の光が当たっていないのではっきりとは見えない。ただし、今日も快晴なのははっきりと分かる。それだけで今日一日、十分歩けることを確信した。


朝食を食べてからティンボチェを発つ。ティンボチェも他の街同様、朝は日が当たらないので異常なほど寒く感じる。バックパックは相変わらず重いが、背中にくっついているのでそこだけ暖かい。
ティンボチェから次の目的地・トゥクラに向かうには、ティンボチェの脇にある壁のような峰を登らなければならない。ティンボチェにいる時もよく見え、「ああ、あの壁(峰)を登るのは嫌だなあ。。」と見る度に思っていた場所である。
高度差100mほどの登りだったのだが、ゼイゼイ言いながら登り終えた頃には、この2日間の休養分の力を使ってしまった気がした。

峰を登りきると景色が一変した。
ティンボチェの街からはほとんど見えなかったタウチェ(6542m)やチョラツェ(6440m)といった秀峰が姿を現す。そして道はなだらかになり、この美しい山を左手に抱きながら気持ちの良い山道が続いている。
また、これまであった低い木も大幅に減り、草のみとなる。代わりに石ころや巨大な岩が多くなる。
体調も快調。歩行スピードもエミリアと大差がなくなってきた。峰の上は日もよく当たり、ここまで来て久しぶりに空気が美味しいと感じる余裕が出てきた。

峰を登りきると景色が一変した。
(左:タウチェ6542m、右:チョラツェ6440m)
荷を運ぶポーター
 
道は比較的平坦


2時間ほど歩き続けると少し建物が見えてきた。トゥクラだろう(4620m)。ロッジが2件あるだけの小さな場所だ。それでもティンボチェ、ペリチェからの合流地点だけあってたくさんのトレッカーで賑わっている。
休憩の為、ミルクティー(50ルピー≒65円)を飲んでいると、再びツアーの老人集団に会った。今は下りのようで「2週間も山にいるのでもう十分だ」、と言っていた。この間の方々とは別のグループようだが、こんな場所登ってくるとは日本の老人もすごいものだ。

トゥクラで一休みするトレッカー

ところで今日はエミリアの体調が悪い。
トゥクラに着き荷物を降ろしてから、ずっと座ってばかりだ。大丈夫か、と聞くとお金を渡され、

「スニッカーズ買ってきて。それが私のエネルギー」

と言って、お金を渡された。よく見ると少し金額が足らない。エミリアの顔を見ると、「貸しといて」との事だった。まあ、仕方がない。



トゥクラ(4620m)



10:30前、次の目的地であるロブチェに向けてトゥクラを出発する。ここから本日最大の難所、標高差350mの登りが始まる。標高差自体はこれまでとは低いのだが、標高がすでに5000m近くになっているので非常に大変な場所だ。
岩だらけの道を登る。相変わらずエミリアの体調は悪いようで、このトレッキング始まって以来初の自分先導のトレッキングとなっている。頭が痛いそうで、歩くスピードがこれまでとは随分違う。恐らく高山病にかかり始めているのだろう。薬を勧めたが、あまり飲もうとしない。

ゆっくり登る。これまで通り、ゆっくりゆっくり登る。この登り坂は確かにきついが、先日の高山病の苦しさに比べれば大した事はない。少しずつ進んでゆけば必ずゴールがある。これだけ分かっているだけでも随分気持ちが楽だったし、それに何よりも体が前に進めている事が一番嬉しかった。
たくさんの人に抜かれて行く。やっぱり老人や女性トレッカーにも。後ろを歩いているエミリアの姿がかなり小さくなってちょっと心配だが、我々はあくまで旅のパートナー。それぞれの行動には口を出さない(と自分は決めている)。現に自分が遅くて遅くて一人で歩いていた際も、エミリアはずっと先を歩いていた。気を遣わなくて楽である。

11:30。ようやく坂を登りきる。下から見上げて分かっていたが、やはり結構大変なものだ。頂にはたくさんの人が休んでいた。そしてたくさんのチョルテンも建っている。何でもこれはエベレスト登山に出かけ、帰らなくなったシェルパの墓だとのこと。標高5000m程度でこの大変さなのだから、標高8000mという世界はどのようなものなのだろうか。想像すらできない。


トゥクラを過ぎると標高差350mの坂が現れる
登り切った坂からこれまで来た道を振り返る
坂の頂には多くのチョルテンがあった


頂で少し休み、エミリアが来るのを待って再び出発した。
幸い登りはぐっと減り、なだらかな道が続く。道が良くなると自然と周りの景色を見る余裕が出てくる。今日も一日快晴。そしてあたりの景色ももちろん絶景。先のチョラツェやタウチェが歩くにつれどんどん姿を変え、右前方にはヌプツェ(7879m)や名も知らぬ雪山が姿を現す。本当に壮大な景観である。天気も良く、美しい雪山が青空に映える。体調も素晴らしく良いので、大変だが素晴らしいトレッキングとなった。


ロブチェへの道
(右手に大きヌプツェ7879mが広がる)



歩き始めて5時間、ようやくロブチェに到着した(標高4930m)。ヌプツェを右手に大きく向き合う小さな集落だ。見たところロッジ6〜7軒ある。後からやって来たエミリアは既にふらふらで、

「ここで荷物見ているから、適当に宿決めてきて」

との事だった。だんだん人使いが荒くなってきている。体調が悪くなければ蹴っ飛ばしていたところだが、仕方がない。一人で宿を当たる。
ところが、である。満室なのだ。どこも満室。体調がよいとは言え5時間も歩きっぱなしで、さらにほとんど休まず何件ものロッジを尋ねて回るのは大変である。残り2軒となってようやく空きが見つかった。無ければテントで寝かされるところだった。とは言え何ともぼろいロッジである。外見もぼろいが、内装もぼろい。狭いし暗いし汚い。このトレッキングで最悪のロッジとなった。(ロッジの紹介はこちら【外部サイト「旅日記〜まあ、旅に出てみよう〜」】

昼食を食べ、外に出る。
寒い。日は照っているが、日光の暖かさなどまったく意味がない程に寒い。風が冷たいのだ。服を着込んでいても、冷たい風が服の中まで入ってくるようだ。周辺にいるヤクや馬などはよく平気で居られるものだ。少し周りの景色を見ただけでロッジに戻る。


ロブチェの村(4930m)
ロブチェで泊まったロッジの食堂
食堂で座っていると、偶然二人のポーランド人女性と話す事になった。
我々が明日向かうゴラクシェプから下って来て、このままティンボチェまで行くそうだ。ちょうど良かったのでカラ・パタールやエベレストベースキャンプ(以下エベレストB.C.)についての情報を教えてもらった。何故かとてもテンションが高い二人で自然と会話も弾んだ。エミリアがいなかったので一緒に話す事はできなかったが、自分がポーランド人と一緒に歩いていると言うと是非話をしたいという事だった。
しばらくしてエミリアが食堂に戻ってきた。「同じポーランド人がいて色々話を聞いた」、と言うと話をしたいとの事。ところが、いざ遠くに座っている二人を紹介すると全く話す気がない模様。どうなってるんだ。女という生き物は分からん。やれやれ。。


食堂のストーブが小さいので、火が入っても全然暖かくならない。ありったけの服を着込んでペットボトルに入れてもらったタトパニ(熱湯)をカイロ代わりに寒さを凌ぐ。

16:00過ぎ、突然日本人の団体がやって来た。またこれまでとは違うグループである。ほとんど老人だが、若い人も若干いるようだ。
登場の仕方がすごい。いきなり食堂にドタバタガヤガヤと大人数で入って来て、皆で「ああ、疲れた」を大声で連発する。驚いている他のトレッカーを横目にガイドであろうか、空いていたテーブルにクロスを敷き、さっと暖かい飲み物や日本から持ってきたお菓子を並べて行く。ショボかった食堂が、そこだけ街中のレストランのようになった。
狭い食堂だったので、自分の隣にも何人かのツアー客(中年)が座った。折角だったので少し話しかけてみたのだが、こちらの話は流す程度で、どちらかと言えばグループ内での会話の方が大切なようだった。他の人達も、グループ内のみで盛り上がっている。
もちろんそれはそれでいいのだが、折角こんな異国の地で素晴らしい体験をしているのに、現地の人や他のトレッカーとほとんどコミュニケーションをせずに帰ると言うのは何とも勿体ない話だ。ガイド(日本語を話す)や仲間で過ごすのも楽しくて分かるのだが。。

しばらくして外でテントを張り終わったガイドがツアー客を呼びに来ると、あっという間に皆いなくなってしまった。もちろんテーブルの上には、食べかけのお菓子や飲み物もそのままである。まるで台風が通った後のような光景であった。
しばらくして一組の白人カップルが食堂にやって来た。でも座る場所がなく、クロスの掛かったテーブルの前で顔をしかめながら、「ここは座ってもいいのか」みたいな事を周りに聞いている。

「もちろん。どうぞ」

日本人である自分が言わなければならないと思った。だから誰よりも先にそう答えた。
夕方、非常に高価なダルバート(350ルピー≒455円)を食べ、さっさと寝る。食堂は吐く息が白くなるほど寒かった。


翌朝はまだ真っ暗な05:00過ぎに起きる。今日のうちに最終目的地であるゴラクシェプ、そしてカラ・パタールに行きたいと思っていたからだ。少し早めに起きる。
それにしてもここの宿は最悪だ。山の中とはいえこれだけの酷いものはそうはない。電気はないし、天井はビニール張り(ゴミ袋?)だし、ほとんど全ての部屋の声が聞こえるし、更に昨晩はツアー用のお祭りか何かをやっていて凄くうるさかった。宿の前でやっていたようで他の宿泊者にしてみれば騒音以外何者でもない。終わると今度は食堂の方から日本語で騒ぐ声が聞こえだす。早く寝ろ!って感じだ。


温度計を見る。3度である。室内でも十分寒い。極寒の中支度を済ませ、06:00にスタートする。
いよいよ今日、最終地点に到着する。


ロブチェより
(ヌプツェ[7879m]が目の前にそびえる)



その4「いざ、カラ・パタールへ」

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